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2014年 11月 21日
奇跡的に2回目突入です。3回目はあるのか? ワタクシにもわかりません。
路地裏の資本主義(平川克美・角川SSC新書) 本書の著者を知ったのは、実はわずか2年ほど前のこと。ある月刊誌の書評で、担当者から『小商いのすすめ』を指定されて読んだのがはじめてだった。 その本の、いたずらに「成長」ばかりを求める、いわゆる金融資本主義的なあり方に疑問を呈し、もっと地に足のついた生活、経済にシフトすべきではないか、という趣旨に大いに首肯した覚えがあった。 そして、本書もそれに近い論旨で、日常的にその存在を疑うことがほぼない「資本主義」や「株式会社」に対して根源的な疑問を投げかける。 ただし、それはコミュニスト的な言説でなく、歴史の流れの中で私たちがそれを所与のものとして捉えている状況に対する、素朴かつ深い疑問である。 と、自分でもよくわかっていない小難しいことを書き連ねたが、私にとって本書購入の動機は「路地裏」のとある地域が登場することにあった。少し長い引用だが、お許しいただきたい。 ……池上線の駅であった末広駅(現在は久が原駅)と慶大グラウンド前駅(現在は千鳥町駅)に挟まれた一角で、わたしの父親は町工場を営んでおり、長男のわたしはこの工場の跡継ぎを期待されていました。……父母の介護をきっかけに再び池上線沿線の地に戻ることになったのです。……五反田駅に向かう三両編成の電車に乗っていると、昔日の光景がよみがえってきます。五反田駅の三つ手前の駅が荏原中延で、駅前にはかつて、荏原オデヲン座という映画館がありました。……近頃、わたしはこの荏原中延に喫茶店を開業し、ついでに仕事場もこの町に移すことにしました。 もはや、書評の体をなしていないかもしれない。 書店でパラパラとページを繰ったとたん、荏原中延(品川区西中延)に生まれ、もちろんオデヲン座にも出入りし、久が原にある高校に三年間通った私が買わないで誰が買う、という気持ちになったのである。 荏原中延の横丁は、池上線沿線で唯一残る「演歌の花道」であり、猫の町なのだそうだ。 #
by new-hamakujira
| 2014-11-21 11:27
| 書評
2014年 10月 22日
みなさま、ご無沙汰しております。
なんの前ぶれもなくこんなの始めてしまいました。 これ1回かもしれませんし、だらだらやるかもしれません。 ま、そういうことで。 紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている――再生・日本製紙石巻工場(佐々涼子・早川書房) 2011年3月11日午後2時46分、私は川崎市内のある駅の構内にいた。当時ごく小さな版元の役員を務めていたが、その実態は、不振の販売状況をどう打開するか悩み、地を這うように生きる編集者兼営業マンだった。 その瞬間、乗っていたエスカレーターを駆け上がり、激しい揺れから身を守ろうとホームの柱のそばにかがみこんで、これは尋常な状況ではないと悟ったとき、家族の安否より先に頭をかすめたのは、自社と業界の行く末がどうなるのかという思いだった。 数日後、印刷会社の営業担当者から連絡が入る。 「今月と来月の新刊分の紙は大丈夫です」と。 出版用紙は、製紙会社あるいは代理店を通じて出版社が購入し、現物は印刷会社に直納するのが一般的だ。ただしロットが小さい零細版元の場合は、印刷会社から購入する形をとる。当時は、流通網が寸断され、あらゆるものの調達が困難になっていたこともあり、出版社にとって紙が調達できないということはまさに死活問題。そんななか、わずかな量ではあるが印刷会社が自社の分をきちんと確保してくれていたのである。そして、そのなかには、日本製紙石巻工場製の銘柄も含まれていた。 長い前置きになった。 『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』は、その震災で壊滅的な被害を受けた日本製紙石巻工場復活の物語だ。 震災当時、著者も担当編集者も出版用紙がどこで造られているのか知らなかった。「私たち、ずっとお世話になってきたのにね」と、自らの迂闊さにあきれたという。そして、震災の2年後、彼女は取材のため石巻に入る。当日、工場で働いていた従業員は全員無事という奇跡に至るまでのプロセス、そして、工場閉鎖も噂されるなかで復旧に向けて奮闘する人々の姿を活写する。 ある社員は「(紙を切らさないのは)我々と出版社との絶対の信頼関係の上に成り立っています。……何があっても紙は供給し続けるのだと。私たちには出版社との約束があるんです。そしてその約束を守るのは、やっぱり石巻しかできない」と語る。石巻工場はこれほど大きな傷を負ったにもかかわらず、出版を支えようとしたのである。 業界の片隅に生きる者として、本書は心にしみた。同時に、ふだんはあまり意識されることのない製紙工場の仕事の過程は、ぼんやりとは知ってはいたものの、やはりとても興味深い。 そして、本書のなかでもう一つ印象に残るのは、日本製紙石巻野球部の話である。その年の新入社員に早大野球部出身の内野手がいた。震災が起きたのは、東京でスポニチ杯に出場している最中だった。入社式前から瓦礫の片づけに従事し、野球部存続の危機に不安を抱く。部の本格的な強化途上の出来事だったという。その2年後、野球部は復興のシンボルとして都市対抗本戦への出場を果たす。しかし、このシーズン限りで彼はユニフォームを脱ぐ。その選手は、2006年夏、エース斎藤佑樹を擁して優勝した早実の主将、後藤貴司だった。 企業、地域、ものづくり、信頼、執念……さまざまなキーワードが思い浮かぶ一冊である。 #
by new-hamakujira
| 2014-10-22 15:33
| 書評
2013年 12月 22日
大変ご無沙汰でした。濱鯨です。
本日は、にこけんの仲間、ジンさんのお店「立呑み処 酌」のプレオープンにお邪魔してきました。 ジンさんとお会いするのもおそらく2、3年ぶり。同じく、にこけんメンバーのぽぱいさんとも同様の再会です。 で、この写真が、今日の肝。 3リットルのやかんの中には、焼酎がいっぱい。 「ジンさん、中ちょうだい」と言うと、グラスに入れてくれますが、ストップと言わないと注ぎ続けます。 まるで、「あまちゃん」の安部ちゃんがまめぶに七味をえんえんかけ続ける図のようです(笑)。 てなことで、新規開店。ごひいきに。12月24日のクリスマスイブにグランドオープンです。 墨田区江東橋4-21-6 錦糸町ハイタウン1階 立呑み処 酌(くう) 錦糸町駅南口から3分くらい。みずほ銀行のちょっと先です。 #
by new-hamakujira
| 2013-12-22 21:35
| にこけん
2012年 05月 03日
濱鯨っす。また、ブログを放置してしまいました。すみません。
とりあえず、フェイスブックは全部公開してますのでこちらで最近のワタクシの動静はだいたいわかります。おひまがありましたら、以下のURLをご参照いただければ幸いです。 http://www.facebook.com/shigeki.kobayashi.5 このブログにつきましては、まとまったものをここに載せるというスタンスでおります。いちおう、閉鎖するつもりはありませんので、引き続きよろしくお願いいたします(勝手だね)。 てなことで、よろしくっす。 #
by new-hamakujira
| 2012-05-03 22:48
| ご挨拶
2012年 03月 24日
濱鯨です。
元日に更新して以来このブログを放置していたせいで、私が死んだのではないかとお思いの方も数名いらっしゃったようで、大変申し訳ございませんでした。 実は、フェイスブックにはちょこちょこ近況を書いているのですが、ここのところ公私ともにバタバタしていたため、長いものを書く余裕がなく、こちらは開店休業状態になってしまった次第でございます。 それから、ことに、にこけん関係の皆様とはご無沙汰でございまして(蒼龍さんとグルメッチーさんはFB仲間ですが)、幽霊部員化しておりますが、いずれなんとか復活を遂げたいと思っております。 てなことで、これからもよろしくです。 (フェイスブックの記事はすべて公開してますので、ワタクシの本名をご存じの方は見られるはずです。) #
by new-hamakujira
| 2012-03-24 12:17
| 日常
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