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2014年 10月 22日
みなさま、ご無沙汰しております。
なんの前ぶれもなくこんなの始めてしまいました。 これ1回かもしれませんし、だらだらやるかもしれません。 ま、そういうことで。 紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている――再生・日本製紙石巻工場(佐々涼子・早川書房) 2011年3月11日午後2時46分、私は川崎市内のある駅の構内にいた。当時ごく小さな版元の役員を務めていたが、その実態は、不振の販売状況をどう打開するか悩み、地を這うように生きる編集者兼営業マンだった。 その瞬間、乗っていたエスカレーターを駆け上がり、激しい揺れから身を守ろうとホームの柱のそばにかがみこんで、これは尋常な状況ではないと悟ったとき、家族の安否より先に頭をかすめたのは、自社と業界の行く末がどうなるのかという思いだった。 数日後、印刷会社の営業担当者から連絡が入る。 「今月と来月の新刊分の紙は大丈夫です」と。 出版用紙は、製紙会社あるいは代理店を通じて出版社が購入し、現物は印刷会社に直納するのが一般的だ。ただしロットが小さい零細版元の場合は、印刷会社から購入する形をとる。当時は、流通網が寸断され、あらゆるものの調達が困難になっていたこともあり、出版社にとって紙が調達できないということはまさに死活問題。そんななか、わずかな量ではあるが印刷会社が自社の分をきちんと確保してくれていたのである。そして、そのなかには、日本製紙石巻工場製の銘柄も含まれていた。 長い前置きになった。 『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』は、その震災で壊滅的な被害を受けた日本製紙石巻工場復活の物語だ。 震災当時、著者も担当編集者も出版用紙がどこで造られているのか知らなかった。「私たち、ずっとお世話になってきたのにね」と、自らの迂闊さにあきれたという。そして、震災の2年後、彼女は取材のため石巻に入る。当日、工場で働いていた従業員は全員無事という奇跡に至るまでのプロセス、そして、工場閉鎖も噂されるなかで復旧に向けて奮闘する人々の姿を活写する。 ある社員は「(紙を切らさないのは)我々と出版社との絶対の信頼関係の上に成り立っています。……何があっても紙は供給し続けるのだと。私たちには出版社との約束があるんです。そしてその約束を守るのは、やっぱり石巻しかできない」と語る。石巻工場はこれほど大きな傷を負ったにもかかわらず、出版を支えようとしたのである。 業界の片隅に生きる者として、本書は心にしみた。同時に、ふだんはあまり意識されることのない製紙工場の仕事の過程は、ぼんやりとは知ってはいたものの、やはりとても興味深い。 そして、本書のなかでもう一つ印象に残るのは、日本製紙石巻野球部の話である。その年の新入社員に早大野球部出身の内野手がいた。震災が起きたのは、東京でスポニチ杯に出場している最中だった。入社式前から瓦礫の片づけに従事し、野球部存続の危機に不安を抱く。部の本格的な強化途上の出来事だったという。その2年後、野球部は復興のシンボルとして都市対抗本戦への出場を果たす。しかし、このシーズン限りで彼はユニフォームを脱ぐ。その選手は、2006年夏、エース斎藤佑樹を擁して優勝した早実の主将、後藤貴司だった。 企業、地域、ものづくり、信頼、執念……さまざまなキーワードが思い浮かぶ一冊である。
by new-hamakujira
| 2014-10-22 15:33
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